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トリアージ~選別~

トキコクリニックについて|May 24,2008 7:38 PM

先日、ある大学病院の救急医療を担当する看護師さんから、興味深い話を聞きました。

大学病院では、災害などの緊急時に派遣できる看護師を、何人か選定しているそうです。
もちろん3年前のJR福知山線脱線事故の現場にも、そうした看護師は派遣されていました。
あの大事故の凄惨な現場で、冷静な判断を下し治療にあたった看護師は、さぞかし優秀で今は病院で活躍されているのだろうと思ったら、そのうちの何人かは看護師という仕事を辞められているそうです。

その理由は「トリアージ」にありました。

「トリアージ」とはフランス語で「選別」と言う意味。
つまり、どの患者から治療するかという治療の優先順位のことです。

大災害や大事故で、多くの負傷者がでた場合、いくつかのポイントをチェックして、その緊急度が選別され、色別のタッグをつけます。
最優先に治療を施す必要がある人に付けられる「赤タッグ」。
重傷だが数時間は待つことが出来ると判断される「黄色タッグ」。
そして重篤で蘇生不可能を意味する「黒タッグ」。

このタッグによって、傷の痛みや苦痛を訴える体力がある負傷者の方より、訴える力もない重傷者が先に搬送されます。
そしてその一方で、より多くの人命を救助するために、処置を施しても救命の見込みが無い負傷者は切り捨てる、すなわち見殺しにせざるを得ないという現実的な側面があります。

107名の死者を出したJR福知山線脱線事故。
そこはこれまでにない過酷な状況だったことは、想像に難くありません。
いくつかのポイントを確認し判断するのに許される時間はわずか30秒程度だったそうです。
そう、その現場の看護師には、一人でも多くの命を救うために、通常では考えられない厳しい決断が瞬時に求められたのです。

しかし、このトリアージについて、多くの看護師は今も悩み続けているそうです。

・・・私が、あの色のタッグにしていなければ、助かっていたのではないか。
・・・私が見殺しにしたのではないか。
・・・もっと多くの人を救うことができたのではないか。
・・・そして、それは全て自分自身の判断のせいではないのか。

もしかすると、負傷者を選別せず、並んだ順に処置していれば、看護師たちはこんなに悩まずにすんだのかもしれません。
しかし、それでは救える命も救えない。
ある意味、残酷とも思えるトリアージは多くの命を救うための、大切な作業です。
しかし、人間の命の選別ともいえるこの判断をわずかな時間で下した経験は、人間の命を救いたいと思って看護師の仕事を選んだ人間にとっては、なおさら残酷な仕事だったのでしょう。
何人もの看護師たちが、その悩みを越えることができず、今も仕事から遠ざかっているそうです。

看護師や医師などの医療従事者は、日常、身近に死というものと接しています。
そして、命が消える瞬間は、看護師にも医師にも悔しく哀しい瞬間なのに、その命を救う仕事が日常であればあるほど、その状況に慣れのようなものが生じてくることがあります。
もちろん、患者さんの容態の変化に感情的に一喜一憂していてはいけないし、例え亡くなったとしても、次の患者さんの救える命に向わなくてはいけないので、実際には悲しんだりしていることはできないのが現実です。

それは、本当は哀しいはずなのに感情を日常の中に埋め込んで、心に感じにくくさせているのかもしれないし、仕事であることプロであることに集中して感情を抑えているのかもしれません。
中には本当に職場ではそんな気持ちを持てなくなって、黙々と看護や治療を作業としてこなしている人もいるかもしれません。

私もかつて研修医のときには大学病院に勤めていて、末期癌の患者さんを受け持っていたこともあり、また、救急外来にいたこともありますが、「慣れ」が生じる間もなく、大学病院を離れてしまいました。

トリアージをきっかけに、職場を去った看護師も、きっと日々の仕事を慣れにしていなかったはずです。ひとりひとりの患者さんと向き合い、心を通わしていたと思うのです。
だからこそ、命の選別の重さを感じ、自分の責任に悩んだことでしょう。
人間らしい気持ちを持っていたからこそ辛く、少しでも多くの命を救いたかったからこそ悩む。。。
そんな彼女達が職場を去りたいと言っても、それは誰も止めることができないことだったのではないでしょうか。

現実に慣れる必要があるその一方で、心を強くもって、慣れに流されずに日々に向き合わなくてはならない。

これは、どんな仕事にも共通していることなのではないかと、私は思います。
五月病の季節も過ぎ、新人だったみなさんもそろそろ慣れてきたはず。
いえ、この道○年のベテランこそ、その慣れに流されないように気をつけなくてはなりません。

今回の話は、私の日常と仕事をもう一度見直す機会となりました。
大学病院で命にかかわる仕事をしていたときと、人生の色彩をより鮮やかにしてより多くのハッピーを見つけてもらうための仕事をしている今と、私にはどちらも「トリアージ」できません。

しかし私は思うのです。

クリニックの日常に流されず、日々新たな気持ちで患者さんと向き合うこと。
そして、今生きている命を大切に生きること、輝いて生きること。
なによりも、自分がこうした仕事をさせてもらえている限りは、よりたくさんの方々の日常をもっと輝いた日々にするお手伝いをしていくこと。

これが、今生きている私の使命だと。

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